寝ても寝ても

何か書こうとすると、すぐに「腰痛い」とか「頭が重い」とかが浮かんでしまって覇気がない。

花粉症は今年もセーフだったみたいだけれど、目がしょぼしょぼしたり、鼻がぐずぐずしたりして、何となくそろそろ危ないような気がする。

 

日々のちょっとした体調不良をつけておくことは、あとあとお医者さんにかかるときに見返すことができて便利だ。

このとき、すでにこういう症状が出てたんだなあとか、思い返すことができる。

お医者さんに訊かれて症状を話すときって、意外と鮮明に覚えていなくて、「たぶん」とか「先週くらいから……」と、ざっくりになってしまうけど、ちょうど日記をつけていたときは、「何日の夜から」と、ちゃんと答えられて便利だった。

 

毎日、ネガティブなことばかり書いてよくないな〜と思うのだけど、残しておくと後で活きてきたりする。

まるっきりコピーされた日を生きているわけではないから、少しの変化をつけておくことも大事なんだなあ

いい音

大したことのない月曜日である。

決まりきった仕事をして、定時に「お疲れ様です」と言ったときの、返される言葉の温度を測る。

 

後ろめたくなんかないという暗示をかけているが、効果はない、いいひとと思われたいんだろう、どこかで。

 

人生でいい買い物をしたなあと思うひとつが、

Bluetoothのスピーカーである。

そんなに高価なものではないけど、初めて“越し“に聴いたときは脳が覚めた。

 

くだらないことにお金を使わないようにと思いつつ、くだらないことにお金を使うのもひやひやしちゃって、まあよい。

どこか知らないところでは莫大なお金が流動的に巡っているのに、わたしはちょっとした使いすぎを反省したり、節約しようとした矢先にお菓子を買って失敗したり、小さく生きてる。それでいい。池でいい。

ニーアのサントラは絶望的な気持ちになるけど、止められない。

紙の日記

ブログサービスに登録して、

今まで紙に書いていた日記も平行していくのかなあと思っていたけど、

やっぱりそういうことになりそうだなあ。

 

取り立てて内容を分けているわけではないけど、

よりしょうもないことを書いてるのは紙な気がする。

 

ひとが見てないというのもあるけど、

書いたら消せないから自由に散らかったままで、それはそれでよい気がする。

鹿のしり

まだ、はてなブログたるもの、うまく使いこなせていない。

徐々に慣れていくだろう。たぶん。

 

今日は版画展を見に行った。

木版という絵を彫られた木?が、複数枚あって

それぞれに色を乗せて刷り、一枚の作品に仕上げている。

奥深い。というか、ど変態だな……と思うような工程だった。

 

作品中にたまにいる、鹿のしりが、ことごとくこちらを向いていることもなかなかのわかり具合でよかった。ハート型のふさふさ。

 

そういえば、macを自分用に使うのが初めてなので、

変換に非常に苦労している。

ライブ変換機能とかいうものは鬱陶しくて仕方なかったけど、

親切なサイトを見て無事、解除することができた。

 

変換しながら、「こんな漢字もあるんだ… 意味は何だろう…

でもここはやわらかくひらがなでいくか」って考えてるときが楽しいのだ。